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【流出解析】シリーズ 第4回 流域実蒸発散量の推定―蒸発散比法―
水文・水質・気象
蒸発散量
水文学
流出解析
広域推定

1.はじめに

【流出解析】シリーズ第4回の内容は流域実蒸発散量の推定についてです. 流出解析とはあまり関係なく思われるかもしれませんが,(長期)流出解析には欠かせない存在です.

今回は,流域実蒸発散量の推定がなぜ重要なのか,推定における難しさとは何かといったことについてお話ししたいと思います.

【流出解析】シリーズ 一覧

【流出解析】シリーズ 第1回 流域界の決定と入力データの用意 【流出解析】シリーズ 第2回 貯留関数法【前編】 【流出解析】シリーズ 第3回 貯留関数法【後編】 【流出解析】シリーズ 第4回 流域実蒸発散量の推定―蒸発散比法― 【流出解析】シリーズ 第5回 実蒸発散量の推定―補完法― 【流出解析】シリーズ 第6回 タンクモデル 【流出解析】シリーズ 第7回 積雪・融雪モデル ―降雪量・融雪量の推定― 【流出解析】シリーズ 第8回 タンクモデルの最適化 【流出解析】シリーズ 第9回 単位図法 【流出解析】シリーズ 第10回 流出量・流出高・比流量の違い 【流出解析】シリーズ 第11回 表面流モデル【定常降雨:前編】 【流出解析】シリーズ 第12回 表面流モデル【定常降雨:後編】

2.流域実蒸発散量とは

はじめに,この聞き馴染みのない「流域実蒸発散量」という言葉について説明します. 「流域実蒸発散量」は,「流域」+「実蒸発散量」に分けられます.

まず,「流域」は下図のように説明されます. 流域.png

河川用語集によれば,流域は以下のように説明されています.

降った雨や溶けた雪は地表を流れて川に流れこみます。雨や雪が流れ込む範囲をその川の流域といいます。集水域(しゅうすいいき)と呼ばれることもあります。 河川用語集 平成30年7月 内閣官房水循環政策本部事務局:流域マネジメント手引き

蒸発散」は「蒸発」と「蒸散」という2つの現象を一括した現象であり,「蒸発散量」はその量です.

蒸発散量を考えるときには,湿潤面蒸発散量実蒸発散量という考え方があり,それぞれ以下のように説明されます(引用・参考文献(11)より). ・湿潤面蒸発散量:地表面が湿潤で,水で飽和している状態からの蒸発散量 ・実蒸発散量:乾燥と湿潤を繰り返している自然条件下の地表面からの蒸発散量

したがって「流域実蒸発散量」とは,「流域全体から実際に蒸発散で失われる水量」という意味です.

3.なぜ流域実蒸発散量が必要なのか?

流域水収支_概念図.png

流域における水の流れを概念的に表すと,この図のようになります. この図の水の流れを式で表すと次のようになります(引用・参考文献(11)より).

\[ \Delta S =(P+I+Q _{si}+ Q_{gi})-(ET+ Q_{so}+ Q_{go}+M) \]

ただし,

\[ \begin{align} \Delta S &:貯留量変化\\ P&:降水量\\ I&:灌漑水量\\ Q _{si}&:地表流入量\\ Q _{gi}&:地下流入量\\ ET&:蒸発散量\\ Q _{so}&:地表流出量\\ Q _{go}&:地下流出量\\ M&:下方浸透量\\ \end{align} \]

例えば,流出量(地表流出量\( Q_{so} \))を求める場合には,以下のように書き換えることができますね.

\[ Q_{so}=(P+I+Q _{si}+ Q_{gi})-(ET+ Q_{go}+M)-\Delta S \]

地表流出量\( Q_{so} \)を計算するためには,右辺のそれぞれの変数の値がわかっている必要があります. 当然,未知な変数があれば地表流出量\( Q_{so} \)は求まりません.

少し強引な説明にはなりますが,要するに,流出モデルで地表流出量\( Q_{so} \)を推定しようとするとき,右辺の変数は全てわかっていることが望ましいということです. 当然,蒸発散量も知りたいということです.

ただし,全ての流出解析で右辺の変数を求めることが必要とは限りません. 例えば,洪水流出解析は,雨によって起きる洪水を対象としており,洪水の期間はせいぜい1〜2週間程度です.そのため蒸発散量が水収支に与える影響は小さく,蒸発散量の推定はあまり必要とされません. 一方で,年間の水収支を考えるとき(長期流出解析)では,蒸発散量は降水量や流出量と比べても無視できない量になり,蒸発散量を計算する必要があります.

蒸発散量推定の難しさ

例えば,降水量や河川流量は,それぞれ雨量計,流量計(水位計)を使って直接測定することができます.しかも,それぞれ気象庁,国交省によって全国のデータが公開されています. ※水文学に詳しい人へ.「面積雨量は直接測定できないじゃん!」というツッコミは無しでお願いします.

つまり,流域水収支の成分のうち,地表の成分に着目すると,降水量\( P \),地表流入量\( Q_{si} \),灌漑水量\( I \),地表流出量\( Q_{so} \)は比較的簡単に測定できます. しかし,実は蒸発散量を測るというのは結構難しいです(地下の成分も測定は難しいですが,ひとまず無視します).

1つの鉢植え,1つの農場ぐらいの比較的小さなスケールでは,かなり高精度な蒸発散量の測定は可能ですが,流域ぐらいの大きさとなると話は別です. 実際の流域には山林もあれば,農地もあり,都市もあります.色んな土地利用が混在する流域からの蒸発散を測るというのはなかなか難しいです. 流域のあちこちに蒸発散量を測る装置を付ければいいですが,お金もかかりますし,いちいち全ての流域でそんなことしてられません.

そんなこんなで流域スケールでの実蒸発散量の測定は,未だに確立された方法が存在していません.

とはいえ,流出解析をするには蒸発散量が必要なので,何とかして推定しようと色々な方法が考案されています. 今回紹介する方法がその一つである「蒸発散比法」です.

4.流域水収支法

「蒸発散比法」は「流域水収支法」に基づいているので,先に「流域水収支法」について説明します. 流域水収支は,次式で表されるんでしたね.

\[ \Delta S =(P+I+Q _{si}+ Q_{gi})-(ET+ Q_{so}+ Q_{go}+M) \]

ここで,流域界で区切られた流域において,灌漑水量\( I \),地表流入量\( Q_{si} \),地下流入量\( Q_{gi} \),地下流出量\( Q_{go} \),下方浸透量\( M \)が無視できるときは,次の水収支式が成立します.要は,地表流出\( Q_{si} \)を除いて,他の流域との水の出入りがないと仮定するということです.

\[ \Delta S =P-Q _{so}-ET \]

さらに,日本のように水文サイクル(台風や雪,梅雨などの現象が1周りする期間)が1年間とみなせる場合には,1年間で見れば貯留量変化\( \Delta S \)はないと仮定して,水収支式は次のようになります.

\[ ET=P-Q _{so} \]

つまり,年降水量から年流出量を引けば年蒸発散量(実蒸発散量)になるということであり,この考え方を流域水収支法といいます. 1年間で見れば,地表に降った雨が川を通って出ていくか,蒸発して出ていくというのは体感的にもまあまあ納得できますね.

※本当に地下流出などをないと仮定していいかどうかの議論は残されていますが..

5.蒸発散比法

さて,実は今回の紹介する「蒸発散比法」あるいは「蒸発散係数法」は,おそらく学術的に認められた呼び方ではないと思うので,便宜的な呼称だと思ってください.

流域水収支法によれば,実蒸発散量\( ET_{a} \)は次式で推定されます. ※\( ET \)と\( ET_{a} \)は同義です.

\[ ET _{a}=P-Q _{so} \]

とはいえ,1年間の蒸発散量\( ET_{a} \)がわかっても特に使い道がないので,これを使って日単位の実蒸発散量を求めたいと思います.

まず,ペンマン法で日単位の蒸発散位(湿潤面蒸発量に相当)\( ET_{0,i} \)を求め,1年間の総和を\( ET_{0} \)とします.

\[ ET _{0}=\sum ET _{0,i} \]

ペンマン法ってどうやって計算するの? ―蒸発散位の計算―

続いて,実蒸発散量と蒸発散位の比(\( \tfrac{ET_{a}}{ET_{0}} \))をとります. この比が蒸発散比,あるいは蒸発散係数,と呼ばれます. 蒸発散比を各日の蒸発散位\( ET_{0,i} \)かけたものを,実蒸発散量\( ET_{0,i} \)とするのが「蒸発散比法」あるいは「蒸発散係数法」です. 何度も言いますが,あくまでこの記事内で勝手にそう呼んでいるだけなので,実際に使うときはよく調べてから使うようにお願いします.

\[ ET _{a,i}=\dfrac{ET_{a}}{ET _{0}} ET _{0,i} \]

6.流域実蒸発散量を計算してみる

IkutaStationWatershed_Karuizawa.jpg

生田流域で実際に蒸発散を求めてみたいと思います.

生田流域では,生田観測所で河川流量を観測しています.また,軽井沢の気象観測所はそこそこ大きいので,ペンマン法の計算に必要な気象要素を全て測定しています. 2010年〜2019年における蒸発散比は下表のようになりました.

降水量 (mm) 流出量 (mm) 実蒸発散量ETa (mm) 蒸発散位ET0 (mm) 蒸発散比,蒸発散係数
2010 1459 892 567 769 0.74
2011 1260 867 393 759 0.52
2012 1204 808 396 767 0.52
2013 1099 729 370 794 0.47
2014 1236 782 453 779 0.58
2015 1186 744 442 788 0.56
2016 1341 843 498 747 0.67
2017 1128 742 386 764 0.5
2018 1264 776 488 802 0.61
2019 1412 948 464 732 0.63
平均 1259 813 770 446 0.58
標準偏差 110 69 20 58 0.08

年降水量は,各観測所の日降水量の平均値を1年間で合計したものです. 流出量は流出量の総量を流域面積( \( 2031 \; km^{2} \))で除して,水深換算しています.

続いて,年ごとに,その年の蒸発散比を用いて実蒸発散量を計算しました. 計算用のワークシート↓

軽井沢_実蒸発散量推定.png 結果をグラフで書くとこんな感じ↓

水収支.png ET0_ETa_比較グラフ.png

考察

一般に,実蒸発散量は蒸発散量位の7〜8割程度になるそうです. ですが,今回の結果はそれに比べるとやや小さいようです.

ちなみに今回の計算にはいくつか問題点もあります. ・生田流域に流域水収支法を適用して良いという保証がない(地表流出 \( Q_{si} \)を除いて,他の流域との水の出入りがないと仮定してよいか不明). ・生田流域は雪が降るが,降雪・融雪とかを特に考慮せずに1年の変わり目を1月1日として計算している. ・蒸発散位を1地点のデータのみで求めている. ・面積雨量の推定方法が本当に算術平均でいいかどうか議論していない.

などなど.

本記事の目的はあくまで,学生や若手技術者の学習の支えになることなので,そのあたりの議論は省略しています. 実際に研究や事業で使う際にはもっと色んなことに気を遣う必要があります.

気象データの集計などはプログラミングをできないとやや大変かもしれませんが,基本的にエクセルの関数のみで計算可能なのでよかったら挑戦してみてください.

7.おわりに

最後までお付き合いいただきありがとうございました.

今後も農業農村工学(水文学,かんがい排水,土壌物理,水理学)を中心に記事を執筆していきたいと思います. リクエスト等も受け付けておりますので,ご遠慮なく連絡ください. Twitterアカウント:エビぐんかん@6LxAi9GCOmRigUI メール:nnCreatorCircle@gmail.com

なお,執筆にあたりデータのミス等には十分注意を払っておりますが,お気づきの点がございましたら,優しくご指摘いただきたく存じます.

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検索用Key Words: 蒸発散比,実蒸発散量,推定,水文学,流域,蒸発散位,ペンマン

引用・参考文献

(1) 中道丈史, 諸泉利嗣, 三浦健志, 2011. 補完関係式を用いた実蒸発散量推定式の改良. 岡山大学環境理工学部研究報告. 16-1, 35-39. (2) 三浦健志, 奥野林太郎, 1993. ペンマン式による蒸発散位計算方法の詳細. 農業土木学会論文集. 164, 157-163. (3) 佐渡公明, 1992. 広域蒸発散量に及ぼす土地被服の影響について. 土木学会北海道支部 論文報告集 平成4年度. 623-628. (4) 松井宏之, 2010. ペンマン型蒸発散量推定式における有効長波放射量推定式の比較. 農業農村工学会論文集. 78-6, 531-536. (5) 佐渡公明, 小島正洋, 1996. 補完関係式による竜式実蒸発散量年変化の推定. 水工学論文集. 40, 39-334. (6) 菅原正巳, 面積雨量の求め方についての数学的考察. 水利科学. 112, 23-43. (7) 大槻恭一, 三野徹, 丸山利輔, 1984. 計器蒸発量, 蒸発散位と実蒸発散量の関係 実蒸発散量推定に関する研究(?). 農業土木学会論文集. 111, 95-103. (8) 大槻恭一, 三野徹, 丸山利輔, 1984. 水収支法と補完関係式による流域蒸発散量の比較 実蒸発散量推定に関する研究(?). 農業土木学会論文集. 112, 17-23. (9) 大槻恭一, 三野徹, 丸山利輔, 1984. 気象資料から推定したわが国の蒸発散量 実蒸発散量推定に関する研究(?). 農業土木学会論文集. 112, 25-32. (10) F.I. Morton,1978.Estimation evaporation from potential evaporation :practicality of an iconoclastic approach.Journal of Hydrology.38,1-32. (11) 丸山利輔,石川重雄,大槻恭一,高瀬恵次,永井明博,田中丸治哉,駒村正治,赤江剛夫,堀野治彦,三野徹,武田育郎,金木亮一,渡辺紹裕:地域環境水文学,朝倉書店,2014,pp.29-39